豆知識

バドミントンはなぜ古代の蹴鞠遊びから発展しオリンピック項目になったのだろうか?

19世紀半ば、インドから現代のバドミントンスポーツの原型となった

1870年前後にインドのマドラス(Madras)に一枚の写真があり、現代のバドミントンの原型となるものを見つけました。写真には、数名のイギリス人が屋外でバドミントンをしていて、ネットはコート一面のフレームになって「ネットのスパーリング」区分は新しいゲームと伝統的な「battledore and shuttlecock」の区別をしていました。この種類の新しいスポーツはインド西部のプネ(Poona)が一番早く取り入れ、そのスポーツを「Poona」と名づけ、バドミントンの最初の名称になりました。駐留イギリス軍兵はインド軍兵をイギリス本土へ戻し、1873年イングランドのブルーミントン荘園(Badminton House)で開催しました。多くの人が注目するだけでなく、バドミントンをだんだん発展させ、後にこのスポーツが「Badminton」と呼ばれるようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 20世紀初期にバドミントンは徐々に国際化していく

1873年後の30年間、バドミントンは室内運動を発展させ、バドミントンクラブがイギリス各地で設立されました。早期のバドミントンは、まだインドの不文律であったことからそのまま使用することはできず、1887年に「バースバドミントンクラブ」が初めて近代的なバドミントンルールを定めました。1893年にイギリスバドミントン協会を設立し、改めてバドミントン試合のルールを見直し、修正しました。19世紀末から20世紀初期までバドミントンはイギリスから北米、北欧に広がり、並んでインドからアジアやその他の地域にまで伝えられました。

1934年、世界初のバドミントン団体「国際バドミントン連盟」はイギリスロンドンで設立しました(2005年に連盟はイギリスからクアラルンプールに移動)。1978年、「世界バドミントン連盟」が香港で設立され、1981年に連盟を「国際バドミントン連盟」に併合しました。2006年「国際バドミントン連盟」は「世界バドミントン連盟(Badminton World Federation)」と名称し、国際的バドミントン大会や関連する行事は159の加盟国と地域で管理されています。

現代のバドミントンルールは、イギリスで制定されていますが、主導しているこのスポーツはアジア国家です。1934年以来中国とインドネシアは「国際バドミントン連盟」の70%の割合でチャンピオンになっていて、世界のバドミントンを支配しています。それにマレーシアと韓国が加わり、アジア四大陸の強豪に並びます。その他ではタイや日本、台湾、ヨーロッパではイギリス、デンマークなどの国がバドミントンを重要な発展項目に載せて、バドミントンスポーツは全国で一世風靡し、世界各地で愛されています。

VICTORはバドミントンを広め、「スター選手」を育てる!

VICTORは、ここ数年に渡り積極的に各国のトップクラスの選手を後援し、それによってバドミントンの推進に貢献しています。VICTORのプリンスたちも各大型の国際大会で優秀な成績を納めています。

2012年のスポーツイベント――ロンドンオリンピックでVICTORから17名の選手が出場資格を得て、その中でも韓国バドミントンチームのジェン・ジュソン/イ・ヨンデ選手が男子ダブルスで銅メダルを獲得しました。チャイニーズ台北チームの男子ダブルスのリー・シェンム/方介民選手、女子ダブルスのチェン・ウェンシン選手とその他のチーム所属のジエン・ユージン選手が第5位の成績を納めています。

2016年のブラジルオリンピックでも、VICTORのプリンスたちが更に強力な陣容と決意を固め、輝かしい成績を納めてくれることを信じています!

 
2012年ロンドンオリンピック韓国チーム勝利のプリンス(写真元:韓国BadmintonTime ホームページ)
左上から:イ・ヒョンイル、ソ・ワンホ、ジェン・ジュソン、イ・ヨンデ、コ・スンヒョン、ユー・ヨンソン
左下から:ペ・ヨンジュ、スン・ジヒョン、Ha Jung-Eun、キム・ソヨン、チョン・ギョンウン、キム・ハナ

2012年ロンドンオリンピックチャイニーズ台北チーム勝利のプリンス
左上から:リー・シェンム、方介民、タイ・ツーイン 
左下から:チェン・ウェンシン、チェン・フンリン

( Edit by VICTOR Badminton )